ケンカを見守る勇気

数年前の園だより”はばたき”で紹介したものです。


ケンカを見守る勇気

〜ロンドンの幼稚園が教えてくれたもの〜

 

以前、私はロンドンの幼稚園で働きながらロンドン大学教育研究所で研究をおこなっていました。ある研究の中で、日本とロンドンの幼稚園の日常風景のビデオをお互い見てもらい意見を聞いていたときのことです。


ロンドンの幼稚園を映し出すビデオの中で、2人の子どもがひとつのおもちゃを欲しがりました。そして、口論が始まるか始まらないかというとき、近くにいたロンドンの先生が、「ケンカは悪いことよ」と一言、2人の間に入りすばやく止めたのです。


その様子を見ていた日本の幼稚園の先生達。

「なんで、すぐにとめにはいるの?せっかくの、子ども達の社会経験の場なのに。ケンカはとっても大切な経験の場。その中から人の痛み、手加減、ケンカのルールを学ぶのに。日本だったら、ケンカが起こったら、それをわきで見つめ手が出そうになるまで、決して間には入りません。」

と、異口同音に不快感を表したのです。

私は、日本の先生の意見をロンドンの先生に伝え、なぜケンカを止めるのかその理由を聞いてみました。


するとしばらくの沈黙の後、ロンドンの園長先生が重い口を開きました。


「私達も、ケンカがとても大切なことと分かっています。できれば日本の先生のようにケンカを遠くから見守っていたい。でも、そうできない理由があるのです。」


ロンドンは、権利意識の強い権利社会。なんでもすぐに裁判になり、ケンカして、もしも万が一何かが起こったら。。。。とそのことを考えると、子ども達のことよりも、自分達を守ってしまう・・・と。そのため、ケガをしても、アレルギーの子が万が一いたら・・・と消毒もバンソウコウもできない幼稚園があるという実態を悲しそうな顔で話してくれました。

 

生まれて初めて親から離れる幼稚園生活は人間関係を学ぶ場。
おもちゃの取り合いなどのお友達との関係を通して、
仲間はずれ、ねたみ、悲しみ、同情、思いやり、喜びと、私達、大人の社会で起こっていることのすべての感情を経験すること。そして、その感情を抑えたり、表したり、調整する力を身につけること。
それこそが幼稚園に通う意義のひとつではないでしょうか。

 

私達大人がケンカを見守る勇気。
大切にしたいですね。

 

 
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思いやりは日本の誇り

 東日本大震災が起こった直後から
私のメールボックスには

「大丈夫?生きてる?
無事だったら返信して!」
という内容のメールが世界のあちこちから届きました。

ロンドンでともに学んだ
世界中の幼稚園の先生仲間からです。


少し経った頃から、
震災の報道を見たみんなから
こんなメールが届くようになりました。

「日本人はスゴイね!」
「なんで、日本ではあんな状況の中、
あんな冷静にいられるの?」
「どうして、暴動が起きないの?」
「どうしてそんなに人のことを考えられるの?」

そして、
最後にはこんな質問が私に…

「日本人って本当にすごいと思う。
アヤコは母であり、教育者だけど、
どんなふうに子どもたちを教育すれば、
あんな日本人が育つの??」

私は実はロンドン時代、
日本とイギリスの幼児教育の違いについて
研究していました。

私たち日本人は、
人の気持ちを考え大事にすること、
「思いやり」を
とても大切にしています。

日本の幼稚園の教育目標には概して
「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるようになる
という目標があります。

しかし、その話を
イギリスの幼稚園でしたときに、
「”ありがとう”が言えることは大切だけど、
”ごめんなさい”が言えるようになることは
必ずしも必要ではない」
と反論を受けたことがあります。


私は、なんだか複雑な気持ちになりました。
でも、日本人にとって、
自分に非があったとき
「ごめんなさい」
ということができること。
それは、他人の気持ちを感じ、考えること。
私たちが人間関係を培う基礎となるものです。


日本のドラマで
主人公が感傷的になるシーンに
BGMが流れ、主人公の気持ちを伝えようとする効果が用いられますが、

海外(西欧)のドラマでは、
あまりそのような効果音がないことからも
わかります。


人の気持ちを考えること、
思いやりを大切にすること。
これは、私たち日本人が古来から受け継いだ大切な日本の文化。


そして、それを培うための私たちの教育。
世界中から評価され、
今、再び見直されています。


「思いやり」
日本人が昔から培ってきた
大切な日本文化です。

そして、これからも大切にしたい
日本文化。

そして、思いやりは日本の誇りです。






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国際人とは?

今日は、数年前に紹介した園便り〜はばたき〜より
ご紹介します。 


国際人とはどんな人なのでしょう?


英語やいろんな言葉を操り流暢に話す人でしょうか?

 


私がロンドンに住んでまもなく1年半というころ、
イラン人の友人からホームパーティーに招かれ、
意気揚々、ワイン片手に訪問しました。



しかし、それが大失敗。
イスラム教の人は(宗派にも寄りますが)、
お酒を飲まないのです!




ロンドンで言葉の壁も薄くなってきたころ、
私がぶつかった新たな文化の壁でした。


しかし一方、
イギリス人は、いろんな文化の常識を心得ており、
どんな場合でもとてもスマートに対応し、異国文化に上手になじんでいきます。

イギリス人は日本人と同様、外国語を話す人が少なく、自国語(英語)しか話しませんが、他国、他文化をよく理解し、差別しない国際人なのです。

 


その原因がわかったのは、イギリスの幼稚園で働き始めたとき。
ロンドンの幼稚園では、自国の文化以外に、
イスラムのラマダン、中国のお正月、アフリカやインドの伝統行事を行っていました。

そして、なんと夏には日本の七夕をやっていたのには本当にびっくり。

幼児期から自国の文化以外に、
いろんな国の文化を学ぶ機会があるのです。

子どものころから、他国文化を正しく理解し、差別や偏見をなくすための他国文化に触れる機会がたくさんあるのです。
イギリスの子どもには、国際人になる要素が沢山あるのです。

 



日本は単一民族国家。
そんな日本人がぶつかる言葉の壁。
でも言葉の壁よりもっと厚い壁、それは文化の壁です。


幼児期から、いろんな文化に親しみ、触れること。
それが、子どもたちが国際人になる第一歩、文化の壁を取り払うための大事な一歩です。

 



平成18年度、平成22年度には、
文部科学省の特殊教育モデル事業として淡水幼稚園では多文化教育に取り組みました。

タイから幼稚園の先生を3人お招きして、タイの言葉を学んだり、お話を聞いたり、タイの文化に親しむ行事を行いました。


タイの先生と過ごす一週間。
子ども達にとっての文化の壁を乗り越える大きな第一歩です。

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だたしい子育てとは!?



「妊娠中はね、玉ねぎとキャベツは食べたらダメ!
って言われてびっくりしたの。

日本では、キャベツは繊維だからって、勧められるのに変よね〜。」

 ドイツにお嫁にいった高校時代の友人が
クリスマス休暇を利用してで久しぶりに帰省。

今では、同じ年ごろの子どもを抱えるママ同士。

子育て談義に花咲く中、
彼女がそんなことを言っていました。


確かに、国が違えば常識も違う。
でも、体に良い、悪いがあまりにも違うので戸惑ったというのです。

私もロンドンで上の子を妊娠しましたが、
妊娠初期の検診で、お医者さんに

「飛行機で旅行に行ってもいいですか?」
「もちろん、どんどん行きなさい!」

と言われました。

ロンドンでは、あまり、妊婦のタブーはありませんでした。

お酒だってグラス一杯のワインくらいだったらはOK。
友人は、テニスもマラソンもOKだと言われたそうです。

ロンドンにいたころ、論文を書くのに必要で、
世界中の育児書を読みましたが、

確かに、妊娠中にやってよいあれこれ、子育てでやってよいあれこれは
国によってずいぶん違います。

ある国のタブーが
ある国の二重丸だったり…

その国の文化、宗教、思想によって
ずいぶん違います。

ヨーロッパやアメリカなどでは、
子どもと一緒に寝ると、子どもの自立が妨げられる
そんな風に
育児書には書いてありました。

(今では、少し変わりつつあり、日本の母子同室が見直されつつありますが)

だから、

子育てに間違いはないのかも。

と、思ってしまったりします。
(楽観的ですみません!)

だって、私は妊娠中にキャベツと玉ねぎをたくさん食べて
無事に子どもを産みましたし…。

でも、どこの国でも変わらないのは、

お母さんが
”我が子が大好き!”って思う気持ち。
それを否定する国はありません。

これって、どこの国であれお母さんであれば
誰しももっている想い

その表現の仕方が各国違うということなんです。

だから
あまりストイックにならずに、
気楽(Easy)にがんばること

だって、玉ねぎとキャベツを食べたって子どもは無事にうめるんですから!

もしかして、私達が正しいと信じてやってることも、
正しくないかもしれない…

信じられるのは
”我が子が大好き”ってことだけです。

そう考えたら、
子育てに正解はないのかも!

もっと子育てを自由に楽しめそうですね



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国際交流 in TANSUI

「サワッディー」
「コップンカー」

最近、淡水幼稚園では、
こんなあいさつが飛び交っています。


これは、東南アジア、タイの言葉。
「サワッディー(こんにちは)」
「コップンカー(ありがとう)」という意味。

淡水幼稚園の子どもたちは、
今、タイのことについてちょっとだけ、学んでいます。


なぜ!?って

来週1週間、
実は、タイから幼稚園の先生が3人
淡水幼稚園にステイするのです。

数年前にも、一度来てくれた
タイの幼稚園で働く、
チョンプンヌック先生(難しいので、ギフト先生とみんなは呼んでいます)

彼女が、友達の幼稚園の先生2人を連れてきて
淡水幼稚園へ来ることに。


チョンプンヌック先生は私の親友。

数年前ロンドンに住んでいたころに、
ロンドン大学の大学院、
(Institute of Education)教育研究所で一緒に学んだ仲間です。

私は、ロンドンで幼稚園の先生として働き、また、世界各国の仲間と学びました。

途上国で幼児教育の普及に悩む仲間。
人種差別に悩む仲間。

(ロンドン時代の詳しい内容はこちら

かけがえのない仲間と、いろいろな議論を交わし、
自分の常識が常識でなくなる体験をたくさんしました。

それが、今の私が
いろいろな子ども達の個性を
受け入れることができるようになった
原点になっているような気がします。

そして、そこに集う多種多様な民族と文化。

議論好きのイギリス人。
人の話にすぐに割り込むインド人
宗教の話では、決して譲らないイスラム教徒の人。
そして、黙りこくってしまう日本人。


そんな小さな世界の文化図が私の教室にもありました。

私のロンドン生活は、これを受け入れることからすべてが始まりました。

そして、こんなことを実感しました。

”国際人”とは、
相手の文化を受け入れることができる人。

決して、言葉がしゃべれることだけが国際人ではない。


でも、
私の経験から
自分の常識と違うことを受け入れるのは、
大人になってからでは、本当に難しい。

文化を受け入れるためには、
幼児期にできるだけたくさん、深く他国の文化に触れること。


そこで、今回も、チョンプンヌック先生に来日してもらうことにしたのです。

来週1週間、
淡水っこは、見たこともない異国、タイのことを学びます。

その様子を、
また、このブログで紹介しますね!

お楽しみに(^_-)☆


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自由と寛容の国

 昨日は…
ふれあい参観終了後、
夕方5時ごろからお風呂→ご飯と
早々と済ませ、
準備を整え、

もちろん観戦しました
サッカーワールドカップオランダ戦!

ついつい熱~くなってしまいました。
結果ともあれ、
岡田ジャパンよくがんばりました!

そのテレビに映る
オレンジ一色のオランダサポーター

そのオレンジ色に
思い出す一つの光景があります。

かつてオランダを旅した時のこと。

その日は、偶然にもサッカーユーロカップ決勝の日。
オランダの町はオレンジ一色。
盛り上がりは最高潮!

旅行者の私達が食事をとるレストランでも、
みんなの目はテレビに釘付け。

ゴールチャンスが来るたびに、
街中から歓声や騒音?が聞こえてきていました。

その端に…
目の焦点の合わない
足取りのふらふらした人が…

主人が私に言いました。
「注意して。あの人、麻薬中毒者だよ」

オランダという国。
この国では、麻薬が合法です。


町のあちこちにある
コーヒーショップ。

そこは…
麻薬を売っているところなのです。
私は中に入りませんでしたが、
メニューに麻薬の種類?が書かれてあるとのこと。
その店内では、麻薬は合法なのです。
(オランダ人の友人によると、
コーヒーが飲みたいときはカフェに行くのだそうです)


売春もある一定地区では合法。

オランダという国は、
他国で迫害された人を受け入れて繁栄したという歴史的な背景もあり
何事にも寛容な国
そして
自由の国です。

だから、
麻薬や売春でも
それを選択するのは、
個人の自由。

でも、
自由は責任を伴います。

オランダの町で見かけた廃人のようになってしまった人。
おそらく、麻薬でそうなったのでしょう。

でも、それも個人の責任なのです。


ロンドン大学の大学院に通っていたころ、
隣のコースにいた
オランダ人の小学校の先生アナ。

こんなことを言っていて
とても驚いたことを思い出します。

「自転車を盗難されても、
盗難した人が悪いんじゃなくって
鍵も掛けずに置きっぱなしにしている人が悪いのよ。」

私達日本人にはあり得ない考え。

でも、自由と寛容の国オランダ。
選択の自由があるからこそ、
自己管理が重要というわけです。


オランダでは、飛び級や留年も個人の選択で自由に行われます。
でも、周りもそれを寛容に受け入れる。

みんなと一緒でなくてもいいんです。


ところ変われば、考えも変わります。

私達の常識が常識でないことも…。


昨日のワールドカップオランダ戦。

テレビの中のオレンジ色に
ふと思い出した、
オランダの思い出です。





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ワールドカップ開幕!

 





象って、

こんなにのびのびと、
泥であそびまわるんです。

そして、小象を助けながら
群れをなして泳いで…

日本では、
決して見ることのできない
光景です。


あぁ、こんな象の姿を、
こんな象のイキイキとした姿を
淡水幼稚園の子ども達に見せたいなぁ…

これらの写真は、

そんな一心で、

実際に私が5年ほど前に撮影した写真です。



こんな光景が、
見られる

その場所は…

そう、

南アフリカ共和国。

今日から始まるサッカーのワールドカップで、
今一番熱い国。



そんな南アフリカに
ロンドンに住んでいた時、
休暇で行くチャンスがありました。


そこには、信じられないくらい雄大な自然がありました。

しかし、

私達に想像もつかないくらいの貧富の差がありました。
私達が経験したことのない差別という壁がありました。

1日50人以上が殺人などで殺されるという、首都ヨハネスブルク。


トランジットでヨハネスブルクの空港で
数時間過ごしただけの
私達の目の前で起こる犯罪。

町を歩くだけで、
何人も子ども達が寄ってきます。

それも、まだ幼い。
幼稚園の子どもたちくらいの年齢。


そして、
私達に物乞いをし、
スリを働こうとする。

その子ども達の一つ一つの瞳を、
今でも、私は忘れることができません。


この国への旅行は、

私の日本人としての常識が
揺るがされた旅でもありました。

先日のブログでも実際に私が体験した差別に少し触れました。

いろいろな根深い問題が
たくさんある。


サッカーワールドカップが南アフリカで、いよいよ開幕!

そんなニュースを聞くたびに、
あの瞳がよみがえります。

華やかな表舞台だけでなく、

その裏側にある様々な問題。

ワールドカップで注目される南アフリカ。

そんな社会の裏側にも、スポットが当たりますように…

そして、あの子ども達の一つ一つの瞳が、
未来が
明るいものになりますように…
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南アフリカ

今年は2010年。

サッカーワールドカップの年。

今度の開催国は南アフリカ。

最近、南アフリカのことがテレビなどで
ずいぶんクローズアップされるようになってきました。

そんな報道を見るたびに、よみがえる一つの光景があります。



それは、私が南アフリカを訪れたときのこと。

もうかれこれ5年ほど前になりますが、
イギリスに住んでいたとき、まだ子どももいませんでしたし、
フライトも日本よりかずいぶん近かったので、休暇で行ったのです。


それは、高速道路で主人と車を走らせている時のこと、

ブドウをもってはだしで近寄ってくる
小学校低学年くらいの黒人の子ども達。

私たちが走っているのは高速道路。
時速100キロくらいは出ています。
はじめは、その子ども達がなんでそこにいるのかわかりませんでした。

そしてよくよく見てみると、
手に手に、何かを持っているではありませんか?

”ブドウを買ってください”
と手に段ボールの切れ端に書いたものを持っているのです。

そんな方法で、いったい、誰が買うのでしょうか?

でも、その子ども達は、その日のお金を稼ぐのに、
生きるためにそれをするのです。


有色人差別のアパルトヘイトが今でも色濃く残る南アフリカ。


私が、初めて”差別”を体験し実感した場所でもあります。

ホテル内を走る乗り合いの車。
私たちが乗り込んだ後に、
50代くらいの白人の夫婦が乗り込もうとしました。

そして、私たち夫婦をちらっと見て、
ドライバーにこういったのです。
「なんで、この人と一緒なんだ?こんな車には乗れない。別の車を用意してくれ。」


私は、乗合バスとちゃ〜んと書いてあるのに変なことをいう人だ、
なんか、変な格好してたかしら?なんか勘違いしてるのかしら?と不思議に思い、
その白人夫婦がなんでそんなことを言うのかわかりませんでした。

私が、”差別”というものを体験したことがなかったからです。

しかし、車を運転するホテルの白人の男性が、
一生懸命この車しかないので、
大変申し訳ないが、この人たちと一緒に乗ってくれと説明していました。


そして、主人が日本語で一言。
「ここは、有色人差別がまだあるからね」

そこで初めて気づいたのです。

「私が黄色人種だから差別されている」

ということに。

ショックは当然のことながら、
「これが差別なんだ…」と頭が真っ白になりました。

ホテルの人の説得の結果、結局その白人夫婦は乗り込みました。

しかし、明らかに不満そう。

私たちと目もあわさず、
一番離れた席に座ったのです。


私は、生まれて初めて

「差別される」

という体験をしました。

そして、それが、私が努力で変えることのできない、
黄色人種であるということによって
起こっている。

抵抗できない悔しさを味わいました。

黒人差別。

私も、それを言葉で知っていますし、
かわいそうだなぁ、と思っていました。

でも、実際に差別されて初めて、
その言葉の本当の重みを、垣間見たような気がします。


自分の肌の色や、出身地のことで、
差別を受けるのです。

それは、何の根拠もない、
ただ肌の色が違うということ。

そして、自分の努力によって決して変えることができないこと。


差別する人の考えが変わらないと
それは決して変えられないのです。



南アフリカでは、肌の色によって職業が決まっています。
(きっと、現在法律上はそんなきまりはないのだと思いますが、
そうなっているようです)

たとえば、掃除やゴミ収集、安いレストランのウェイトレスなどはすべて黒人。

受付、事務所で働くひと、レストランやホテルのオーナーなどは白人。

ほとんど例外はありません。

黒人の住むスラム街がある一方、
美しい景色の中に、高い壁に囲まれた夢のような白人のためのリゾート地、別荘地がある。

貧富の差が激しく、凶悪犯罪が横行し、
首都ヨハネスブルクだけで一日50人以上が殺人によって殺められる。



2010年。
サッカーワールドカップで注目を浴びている南アフリカ共和国。

ぜひ、これを機会に、そんな貧困の子ども達がいること。
根強く差別が残っている社会。

輝く舞台のサッカーばかりでなく、
そんな南アフリカの一面も見てほしい

そう思いながら、日々の報道を見ています。


そして、これを機会に、

南アフリカで日常のように起こる

差別がなくなり、

貧困がなくなり、

殺人がなくなり。

サッカーワールドカップが、

そんな平和の使いであるように祈っています。











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暑い夏の日差しの思い出

暑い夏の日差し。
それは私にある人を思いださせてくれます。
ケニア人のヤタニです。

涼しいロンドンではあまりない暑い夏の日でした。
ロンドン大学の教育研究所の幼児教育を専攻する40人の学生が集まった初日。
ほとんど何を言っているかわからないくらい、訛りの強い早口の英語で自己紹介して一人で笑う、とても人懐こく底抜けに明るいアフリカ人。
一触即発の白熱した議論も、彼のユーモアでなごむという、クラスのみんなから愛されるムードメーカー。
それがヤタニでした。

当時からライオンキングのファンだった私は、
「ハクナマタ〜タ」(ライオンキングでおなじみのこの言葉、ケニアの言葉で「どうにかなるさ」の意)
その一言で友人になりました。

教室やキャンパスで会うたびに、
「アヤコ!ハクナマタ〜タ!」
「ヤタニ、ハクナマタ〜タ」
と私達の合言葉になりました。

そんなヤタニは、実はケニアの国費留学生。ケニアでは、幼児教育を統括する役所(幼児教育省)の政府のえら〜い官僚で、奥さんと子ども達を残してロンドンに単身留学中でした。

ある日、食堂でヤタニと会い、一緒にランチを食べました。
彼は、「ロンドンは高いよ!」と自分で作った決しておいしそうとは言えないサンドイッチを食べながら、
おもむろにケニアの教育事情について語りはじめました。

ケニアは発展途上の段階。子ども達も重要な労働力。教育を受ける環境も十分とは言えず、たとえ教育を受ける環境があっても、貧しさのため教育を受ける機会を奪われる子どもがたくさんいることをヤタニは語ってくれました。
そして彼は、いつものユーモアたっぷりの顔ではなく、真剣なまなざしでこう言いました。

「僕は、ケニアのすべての子ども達に教育の機会を与えたいんだ!文字が読めれば、書ければ、何か仕事ができるようになる。物乞いや泥棒をしなくてもいいはずなんだ!見ててアヤコ。僕がここで勉強して、ケニアの幼児教育を変えるんだ!」


授業が終わった6月下旬、卒論を残し、ヤタニは家族のもとに帰るため、
ケニアに帰国しました。

その後、何度となくメールをやり取りし、論文の進み具合、近況などを語り合いました。
彼のメールには、いつもケニアの子ども達と動物が登場していました。
ヤタニが、どれだけ、ケニアの子ども達を愛し、自然を愛しているかがとても伝わるメールでした。

そして、彼からのメールが少しずつ変化を見せたのは、7月下旬ごろでした。
メールには、自分の国に、民族同士の争いがおこったこと。
そして、自分がその争いの渦中の民族であること。
そんな武装した民族同士の争いがいかに馬鹿らしく、無駄であり、そんな一つ一つがいかに子ども達の教育の機会の妨げになっているか。
子どもを愛し、ケニアを愛し、平和を愛するヤタニらしいメールでした。

8月に入り、彼からのメールがあまり届かなくなりました。
そして、8月中旬、とても短いメールが届きました。

「アヤコ、自分の愛する国の教育を変えよう!」
と一言だけ。

このメールの後、私は何度もヤタニにメールを送りましたが、返信が届くことはありませんでした。

帰国する直前。
卒論の相談のため、私は監督教授、リズの元を訪れました。
彼女はヤタニと連絡が取れないこと。ケニアの彼の部族でたくさんの死者が出たことを話してくれました。

ヤタニの言葉は私の脳裏から消えることはありません。
もう4年も前のことなのですが、幼児教育に携わり、理解を深め、時を経るごとに、より深く心の中に入ってくるような気がします。

暑い夏の日差し。
ふと思い出した私の大切な思い出です。




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Londonリポート Vol.1 ロンドン到着!

 「まもなくいたしますと当機は着陸態勢に入ります」

窓の下を見ると、お行儀よく並んだ畑が見えていた。そして住宅地へと変わっていく。
どうもロンドンに近づいてきたらしい。眼下に蛇行した川が見えてきた。

「テムズだ!」思わず叫んだ。
よく見るとテレビで見るビックベン、ロンドン橋、ウエストミンスター寺院がみえた。
あぁ、ここはロンドンなんだ、、、。

ロンドン滞在記1

ロンドン滞在記2

英国旗 ユニオンジャック
ロンドン ビッグベン

到着すると、当然ながら周りは外国人ばかり。
英語、英語、英語 ・・・・。
この中で生活していくんだなぁ・・・
背中の当たりにピリリと緊張感がはしる。
今まで想像だったものが、すべて実感に変わっていった。

次の日、
目覚めて窓の外を見ると赤い2階建てのバスが走っている。
そうだ、ここはロンドンだ。ここで生活するんだ。

私たちの最初の仕事は住む家を探すこと。
まずは町の概要をつかむため、外へでた。

地下鉄の駅について私たちが目にした標識。
「サスペンド(運行停止)」
地下鉄が止まっている。しかし、誰も動じる様子がない。

イギリスは、百数十年前から地下鉄があり、インフラが古く、
よくこのようなことが起こるらしい。
日本でよく見かける、駅員にくってかかるようなこともない。みんな困った顔ひとつせず、どこかへいってしまう。この国では、別に特別なことではないようだ。

国が違えば、人も違う。そんなカルチャーショックの中、私のロンドン生活が幕を開けた。
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